Home > コラム一覧 > 桝井映里のコラム
ごるスタ 桝井映里のゴルフコラム
毎週金曜日更新

第48回 日本人とゴルフ

2007.5.25

初めて目にする方が殆どではないかと思うが、侍が刀ならずゴルフクラブを振りかざしている姿である。
2001年に「日本のゴルフ100年祭」が行われた時に使われたシンボルマークである。
この絵は1899年に英国のゴルフ誌「ゴルフ・イラストレーティッド」に、もし日本人がゴルフをしたらというイメージで掲載された戯画をアレンジしたものである。
日本にゴルフが誕生する前に日本人とゴルフが絵になっていたことは興味深い。

「日本のゴルフ100年祭」シンボルマーク

以前のコラム( 第39回「名門コース」 )で述べているが、1901年、在日英国人アーサー・H・グルームにより神戸六甲山に4ホールコースが造られ、これを日本のゴルフの始まりとしている。
当時、日本でこれほどゴルフが盛んになるとは想像もしていなかったと思うが、「こんなに面白いスポーツは無い」と日本にゴルフを定着させたのは、1900年前後、海外でゴルフを覚えた日本人達である。
100年前、ゴルフの面白さはすでに日本人に理解されていたのである。

日本でもゴルフを楽しみたいと、帰国後有志で立ち上げたゴルフコース、東京ゴルフ倶楽部は、1901年から十数年後ではあるが、日本人が自由に楽しめる日本初のコースとなった。それまでのコースは外国人専用であり、日本人は肩身が狭かった。

東京ゴルフ倶楽部でのメンバー達(日本ゴルフ協会70年史より)
パッティングをしているのは、赤星四郎、その左が赤星六郎 *

私は日本のゴルフにとても誇りを感じている。
それはゴルフを定着させた先人達が、自分たちの趣味に始まったことでも基礎をしっかりさせスタートしていることである。東京ゴルフ倶楽部の創設後、間もなく日本ゴルフ協会を設立し日本のゴルフの基盤作りに努めた。
英国に渡りクラブ組織、規則、競技の運営、コース設計の分野まで学びに出掛けている。日本のゴルフ技術力向上のため海外交流も盛んに行い、大正時代に外国のレッスンプロを招いたり、昭和の初期からプロを海外遠征に送り出していた。
昭和4年、初の海外遠征となったハワイアンオープンには、宮本留吉と安田幸吉の二名が出場し、 日出ずる国ひいずるくに のスターとして紹介された。当時の行動力は本当に素晴らしい。

私は、ゴルフに触れて約半世紀、親のゴルフ談義から部活動のゴルフ、競技ゴルフ、友人たちとの楽しいゴルフなどなど、振り返るとゴルフをベースに生きてきた。
よき伴侶としてのゴルフに感謝し、ゴルフ100年祭には学生時代の友人と出席して心から日本のゴルフ100年をお祝いした。

「ゴルフ100年祭」にて
(左から倉本昌弘、中央尾崎将司、右端が筆者)

*1920年代ゴルフ界で活躍し、多くのプレーヤーを指導した赤星兄弟。

   
 

次回更新予定:2007年6月1日

第47回 女子プロの見所 2007.05.18
第46回 川奈の魅力2 2007.05.11
第45回 川奈の魅力1 2007.05.04
第44回 プロの練習日 2007.04.27
第43回 上田桃子、初優勝 2007.04.20
コラムTOPへ バックナンバーを見る


go to top